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接種会場に侵入した「神真都Q会」とは?発言と行動の矛盾

メディア処

2022年4月7日 接種会場である東京のクリニックに無断で侵入し、4人が逮捕される事件がありました。

逮捕された4人は「神真都Q会(ヤマトキューカイ)」のメンバーです。

神真都Q会?どこかの宗教?何が目的?

神真都Q会とは?

神真都Q会は日本版の「Qアノン」団体です。

米国のQアノンと言う団体の思想を受け継いだ日本人の団体。

Qアノンとは

Qアノン

「世界は小児性愛者の集団によって支配されており、悪魔の儀式として性的虐待や人食い、人身売買に手を染めている」という陰謀論、またはそれらを信じる人たちを指す。信奉者はそうした集団を「ディープステート」(影の政府)とみなし、民主党の政治家やハリウッドスターらが所属していると考えている。

朝日新聞より引用

要は「国のトップが裏で子どもに性的虐待したり、人身売買などをしている」という陰謀論を信じ、それを世の中に広めるために発言、行動をしている団体。

日本の神真都Q会の代表者は「岡本一兵衛」さん。通称イチベエ

Twitterは凍結されているようですが、YouTubeチャンネルはあります。

下記 岡本一兵衛さんのチャンネル

https://www.youtube.com/channel/UCq_6DWiaRiCaq11enijuJBw/about

神真都Q会やQアノンに関してはこちらの方が詳細をまとめていらっしゃいますので参考までに

神真都Qとは何か

ノーマスクデモや反ワクチン団体に見られる矛盾

ノーマスクデモは各地で開催されてニュース沙汰になったこともあります。

電車にノーマスクで団体で乗ったり、彼らの目的は一体何でしょうか?

Twitterなどを見ると、「コロナは茶番」「日本人よ目覚めろ」「マスクは危険」等と執拗に訴えかけている人も多いです。

今回のクリニックに侵入した「神真都Q会」の方々にしてもそうですが、何故まずは皆と「同じ土俵」に立ち対話をできないのでしょうか?

仮にコロナが茶番だとして、ワクチンが危険だとして、その確固たる証拠はどこにあるのでしょうか?

その証拠が、誰もが納得できるような証拠があるのなら、何故それを伝えないのでしょうか?

コロナが茶番、ワクチンは危険 仮にそれが事実だとして考えたとしても

今回クリニックにノーマスクで侵入した大義はどこにあるのでしょうか。

マスクを着けていない人に不信感がある人もいます。

基礎疾患を持っている人なら尚更。

病院はクラスターが発生したら死活問題です。

この様な過激な行動に恐怖を感じ、心の傷、トラウマになる人だっているかもしれません。

「子どもを守りたい、人を守りたい」そう思い活動をしているのなら、行動の仕方を改めるべきでは?と素直にかんじますよね。

コロナは陰謀?

コロナウイルスが流行してから、ネットでは様々な情報が入り乱れてますよね。

コロナは陰謀だ!茶番だ!マスクは危険!ワクチンは危険!

様々な陰謀論、ノーマスクデモ、反コロナ団体。

追いかけても追いつけない程の思想があり、情報が独り歩きしています。

何を信じていいか分からなくなりますよね。

「何を信じていいか分からない」

だからこそ、人は無理やり「何か一つを信じよう」としてしまいます。

「信じれる仲間たちと、何か一つを信じたい」そんな心理が働いているのではないでしょうか。

思想は自由です。100人いれば100人心も思考も違います。

何が正しくて何が間違っているのか、「コロナ」を題材として考えても、私も正しい答えなんて分かりません。

ただ、私がマスクをするのは

・「自分を媒介して他人に感染させたくないから」

・「コロナに恐怖を感じている人を不安にさせたくないから」

・「お店などのコロナ対策に協力すべきだから」

といった理由があるからです。

多くの方がそんな気持ちでマスクをしたり、ワクチンを打ったり、出来る限りの対策をしているのではないでしょうか。

それが正しいのかは別として。

さて、コロナは陰謀かどうかについてですが、「そんなこと、一般市民の人間に分かるわけがない」そう思いませんか?

仮にコロナが陰謀だとして、どこかの国が作った殺人兵器だとして、それを知ってるのは一握りの国の、さらに一握りの人物のはずです。

これだけ世界を巻き込み死人を出し、経済にも大打撃を与えた「陰謀」

そんなの普通の人間に本当の事なんて分かるわけがないんです。

ただでさえ、世の中は様々な情報が操作されています。

操作されていない生身の情報を得られるのは一部の人間だけなんです。

思想は自由ですが、他人に迷惑をかける思想や行動はしてはいけませんよね。

思想の自由、宗教の自由 創価学会を経験して分かった事。

私は以前「創価学会」に入会していたことがあります。

社会人になってからあるきっかけがあり、2年ほど創価学会の一員でした。

ですが私はどっぷり漬かることも出来ず、信仰を信じることも出来ず、誰かを勧誘(折伏)する事もせず、

ただ創価学会の会員の方たちと仲良くしていたくらいです。

私が創価学会を辞めたのは「価値観の違い」によるものです。

ですが、創価学会自体が嫌いなわけではありません。逆に好きな訳でもありません(笑)

ですが、色んな方々がいて、いい人も沢山いました。

ただ、恐怖を感じる瞬間は何度かありました。

勿論、数十人に囲まれて入会を迫られた時も割と恐怖でしたが(とりあえず入会して合わなければ辞めればいいかと軽い気持ちでした)

「意志の弱い人なら洗脳されどっぷり浸かってしまうんだろうな」

と思わされるくらい、結束力が強く、自分たちの信仰を信じ切り、疑わない。そんなところに私は恐怖を感じてしまいました。

元々私は宗教に偏見はあまりなく、人は自由であればいいと思う人間です。

脱退した今も特に偏見はありません。

ただ私が創価学会を経て学んだことは、「思想は一つである必要はない」

という事です。

何を信じ、何を大切にし、どう生きるかは人の自由であり、誰にも何にも縛られる必要はありません。

ただ最後死ぬときに「幸せだった。いい人生だった」と思いながら死ねたらそれでいいと思いませんか?

そして、色んな思想も「受け入れる」「妥協点を探す」

世界中の人達が「一つの思想」になるなんてあり得ません。

だから紛争や戦争は絶えません。

だったら、まずは理解しようとする事。歩み寄る事。それが「愛」ではないでしょうか。

勿論受け入れられない思想だって沢山あるわけで、そこからは逃げるしかありませんが。

何を信じて生きていけばいいか分からない今だからこそ、私達は「何を大切にしたいか」で思考行動をするしかありません。

そもそも、何かを信じる必要もないと思います。疑ってばかりでは勿論辛いですが、無理やり何かを信じて思考を止めてしまうくらいなら、

半信半疑で考えながら、向き合いながら生きたほうが人間らしいのではないかと私は感じます。

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